私たちは、現世に留まっていつまでも遊んでいられるのなら…(つまり、寿命がなく、おかれた環境が概ね平和であるなら)特に何かについて思い悩むことはないでしょう。それが幸福かと考えると何か漠然とした虚しさを感じます。実際は否応なしに時間が過ぎて行き。最期には死んでしまいます。気が付いたらこの世に生まれていて、寿命が尽きたら去るのです。普段はタイムリミットを意識せずに生活していると思いますが、死は避けられない事実です。このように極端に解釈すると、これもまた空しく感じます。しかし、人生の最終章までにはいくつもの幕があり、段落があるでしょう。短期、中期、長期と、それぞれに何か目標や希望があれば生き甲斐がうまれ、自分が何者を演じればよいのか明確になります。むなしさは無くなります。(勿論精神的にであり、これによって金銭的な生活苦は解消されませんが)ですので、その何かを自分で決めるか決められないかが大きな問題になると思います。それがないうちは自分の人生でありながら、エキストラとして参加しているようなものだと思います。エキストラが悪いとは思いませんが、主役を演じてこその人生ではないでしょうか。知識や経験が、完全とはいかないまでも、ある程度充実していないと幼稚な価値観しか持てません。もちろん誰もが子供のうちはそんな状態です。純粋に夢や希望を語っても大人からみれば無謀なわがままにしか聞こえません。子供たち...
『さんたぽすと』課外講座
さんたぽすと は 「た」 が みっつ !!!
〝たのしく ためして ためになる〟
講座をお届けいたします。
さんたぽすと は
〝 栄 養 〟
をお届けします。
実験や工作を楽しみながら
テーマ学習を行います。
お届けするのは
〝 有 意 義 〟
な時間です。
~よりゆたかにいきるために~
cheerful challenge for good life
Since 2010.12
子どもの頃から言葉遊びが好きで、よく頭の片隅で語呂合わせや回文などを考えています。癖というか習慣というか、それが自然になっています🤔長年やっていてもなかなか良いものはありません。その時は良いと思っても翌日には陳腐に思えて恥ずかしくなり、とても人前で披露できるようなものではなくなります🤭しかし、ごく稀に数日たっても講演会で使えそうだと思えるものがあったりします。もちろん…そのごく稀な力作でも、あくまでも自己満足であって、人様から高評価を得られたわけではないのですが…😱今回は、『ロコモコ丼』🎉🍔🍳思いつきました😎プログラミング教育が盛んになりはじめた昨今…文科省の指針や他のいくつかの記事を読み、自分なりに趣旨をまとめました。結果、プログラミング教育とは、プログラミング的思考力を養うことにあると理解しました。これからの時代に必要とされる資質①論理的思考力②行動力③問題解決能力④コミュニケーション力頭文字がロコモコ😏そしてこれを ドンドンくり返す…と、言うわけで 『ロコモコ丼』です。いつも、こんなふうに余計な話をするから講演会では大半の方が眠ってしまうのでしょうか…😭
実は私…おはようとか、おやすみとか、あいさつの言葉というものは、体裁を装うためであって、実利のない面倒なものだと思っていました。職場や親密でない知人に対して社交辞令として用いる言葉だと考えていました🤔それで自分の場合、特に家族に対しては、あいさつの言葉は自然に少なくなっていました。家族なんだからいちいち言わなくてもよかろう…と。ところが今日、思い当たりました。挨拶とは家庭内にこそ必要であり、☀️それはきょう一日を正しく過ごすための合図なのだと。🌙そして一日の終わりには、正しかったその一日への感謝と、正しい明日を迎えたいと願っている気持ちを相手に伝えるために挨拶をすべきだと。そんなわけで〜〜、だからこんなに世間は挨拶にうるさかったのか…と、この歳にしてやっと理解しました😱自分のバカさかげんに笑っちゃいました。…こんなのも開眼と言って良いのでしょうか? 👀まぁ言わないんだろうね…でも自分はまた一つ物事が見えたと感じました。💫挨拶とは、大袈裟に言えば生きる覚悟です。正しい一日なんて言うと、今までの私なら「なにをいー子ちゃんぶって…」😑と、斜に構えておりましたが。なんの争いも禍いもない一日を正しく、有難いものだと感じる昨今です。認知症の親の言動に腹を立て、罵声をあびせてしまうことがありました。😤暴言を吐いた後の気分は…もう最悪です。😩私は良い性格ではありませんし、卑怯なと...
童心を引くと、「子どもの心」「おさな心」「純粋な心」「けがれなき心」など…つまり、良い心です💖一方で、「子どもは残酷」という声もあります😈どちらも理解に難くはありません。同様に、大人の忖度にも功罪がありましょう。良し悪しの問題でなく、単純か複雑かということだと思います。ロボットアームの工作のおり…
先日お邪魔した学校の一年生たちからお手紙をいただきました。素敵な(被写体に難ありかも💦)表紙も付いていました⭕️ みなさんがんばってかいてくれたようです😭拙い文字で…いや、拙い文字だからこそ嬉しくて涙が出てくるのかもしれないなぁ… 拙いといえば思い当たるのは自分の講座です(-_-;)講座というより私という人間が…もちろん講師として人前に立つからには事前準備を整えて本番に臨んでいるつもりではあります。しかしながらまいど帰り道で、🚐「あそこは別の方法がよかった…」とか「あの子にはこう言ってあげるべきだった」とか…後悔とまではいかないけど、次は直そうと思うところがでてきます。 次回直すということは今回はベストではなかったということ、、、😱それでもお礼を言ってくれる子どもたちがいる😌なんと有難いことか❗️慢心してはいけない…もとより自分の講座はまだまだ完成には程遠いのである。発展途上なのである。 参加者さまが私を引き上げてくれている⤴︎感謝いたしますm(_ _)mありがとうございます🙏
なんのとりえもありませんが、感謝される仕事がしたいと思っていましたので、とても光栄です🙌初めてなんですから😅自慢させて〜〜🙇♂️
とある著名な先生の講演会に行ってきました🐘。内容は、子供(幼児〜中学生ぐらいかなぁ🧐)をお持ちの保護者方々に向けての子育て論で、主に理想的な家庭教育についての考え方や具体的手法でした。明快で聞き取りやすく、行って良かったと思います⭕️長い目で見れば、「塞翁が馬」の通り🐴 人生の禍福は転々とし予測は難しいものだと思います。結果論です。しかし、その場その場での、限定された一場面での判断は最善の選択をすべきだし、したいですよね🙂。子育てにおいても、些細な日常がいずれその子の人格を作り、将来を左右すると考えると、より良い接し方や関係の持ち方を考えさせられます。これまで私が聞いた、何かの問題解決に関する専門家のアドバイスって…素人でも思い至っているだろうし、だいたいそれが実行できるんなら、そもそもその問題は発生しなかったであろう…と、思われるものがほとんどです🙄(有資格者や業者でなければできないものや、高度な専門知識・技術を要するものは別ですが…)思い返してみると、特に問題ではないことを問題視して深刻に悩んでいたり、わかっちゃいるけど腰が重くて後回し😅が多かったんじゃないかな〜。そんでもって誰かに相談したり助けを求めたりしてました。演出ですね。🍎自分で選択肢を考え、方策を決定し、実行する💪そうしないといくつになっても同じ悩みを繰り返していそう…大人だって発展途上生...
児童に対して話すことが多いせいか、例え話をよくします。例え話は、ある物事の仕組や概念を分かりやすく伝えるために使います。しかし、あくまでも例えであり、対象について正確に解明するものではありません。ある意味で誤魔化しです。😈これから学ぶ立場の人が、いきなりその物事についての高度な研究内容を理解するのは困難です。(私自身が困難です😭)さらに、限られた時間で全ての分野に精通することは誰にも無理でしょう。まずは、それに興味を持てるのか、さらに詳しく知りたいのかどうか。🧐入り口で取捨選択すると思います。ドアを開けたら、ワクワクドキドキ💓楽しそうなら中に入るでしょう。味気なくつまらなそうならドアを閉め、🚪2度と入らないかもしれません。興味が増えればその人の人生は少し豊かになり、興味を持てなければ人生の中で選択肢が少し減ります。講師は責任重大です(^_^;)。興味を感じてもらいたいあまりに、事実から離れた例え話をしてしまうこともあるのですm(_ _)m参加者の可能性を、自分のつまらない講座のせいで減らしてしまっては申し訳ない。可能性といっても…なにも将来有名になる必要はありません。『豊かに天寿を全うする』という偉業を成し遂げるべく、日々を過ごしていきましょう。そのための糧となるような講座にしたいのです✨…って、だから多少のオーバートークは許してね🙏…というお願い😌
『大きさ比べ』の講座の準備をしていて、つくづく…宇宙とはとてつもなく…あきれるほど…わらっちゃうくらい…大きく、長い長い時間なのだなぁ🧐と思いました。まぁ…大きいのだということはみんな知ってるだろうけどね。そういう知識に触れるタイミングによって、「ふ〜ん😑」と、聞き流すこともあれば、「すげ〜🤭」と、鳥肌が立ったり、 「???😓」と、キャパの狭さを嘆いたり。受け取り方が違いますよね。『啐啄同時』という言葉がありますが、私は最近になって知りました。🐣🐓講座を担うチューターとしては、その環境を如何に整えるかが命題だなと…また一つ私は理想に近づけたのかもしれない💡…という自己満足😁